卒業論文アーカイブ

大正-昭和初期におけるトマト生産急伸の背景―生産的側面と消費的側面に着目して―

  • 年度
  • 平成28年度
  • 氏名
  • 山下 美保
  • 指導教員
  • 渡辺
  • キーワード
  • 食文化・農村文化
  • 概要
  • トマトは明治年間に入ってから日本に導入された外来野菜の一つである。その生産状況は1924 ~39 年にかけて作付面積は426ha から9,927ha と約23 倍に急増し、他の外来野菜にはない特徴を 示した。本稿では、大正-昭和初期におけるトマト生産急伸の背景について、特に生産的側面と消 費的側面の両方の関係性に着目し検討していくこととする。 生産的側面から検討されるトマト生産急伸の要因は以下の4 点である。1 点目は、トマトは傷み やすいため長距離輸送に不向きであり、生産地の近郊で消費された。2 点目はトマト栽培適地が広 域であった点である。3 点目は各地の農事試験場などで栽培・加工の研究が行われたことにより、 技術が普及した点である。4 点目は、農家の副業としてトマト加工が行われた点である。これらが 相互に関連し、1939 年時にはトマトの主産地形成はみられず、全国的な生産につながった。 一方、消費的側面では洋食の普及といった食文化の変容とトマトの需要拡大が、作付面積の急伸 に大きく関わっている。西洋料理店の都市部での増加や洋食の調理技術の伝来によって、洋食の浸 透が加速した。洋食の中でトマトはソースや調味料として用いられている。こうしたトマトの利用 法を主婦層にまで広めたのは婦人雑誌の貢献が大きい。また、1935 年頃には、生食用が加工用を上 回っており、用途が変容したことも特筆される。他方、昭和初期にはトマトサーディン生産がおこ り新たなトマト需要が生まれた。またカゴメ株式会社に代表されるようなトマト加工製造業が1929 ~1942 年にかけて全国的に増えており、農村部のトマト生産を支えた。 以上が、大正期から昭和初期にみられたトマト生産急伸の原動力になったと結論づけられる。

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